平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

ショーではない真剣勝負を。

埼玉と岐阜で40℃を記録したというのだからこの暑さは半端ではない。
なるべくクーラーをつけないように努めているが(まあつけたとしてもドライなのだが)、こうまで暑いとそんな努力はいとも簡単に水泡に帰す。
まるで部屋を出なくても構わない一日は、クーラーに頼ることなく大量の汗を吹き出しながら過ごすことに心地よくも感じられるけれど、スーツをきて太陽に当たった日にはそんな呑気に構えてもいられない。アツイ…。

というようなことを、過日のブログに書いた気もするし、顔を合わせた誰かに話した気もする。でも、話したり書いたりしたことも定かではないし、それがブログに書いたのか誰かに話したのかも定かではない。

あまりの暑さに頭が朦朧としているようである。

暑くて暑くて不快指数が高まる中、さらに気持ちをムカムカさせる記事が目に飛び込んでくる。
亀田大毅、内藤へ挑戦決定!ファイトマネーは総額2億円越え」
もうええ加減に堪忍して欲しい。

亀田兄弟のボクシングの内容についてや、亀田一家がしてきたことの一つ一つを取り上げて事細かに文句をたれる気持ちは今さらだけれど、まだ彼らに2億円ものオカネを注ぎ込む某や某や某がいることに、むしょーに腹が立つ。
というか全身の力が抜ける。

亀田大毅は試合後にピアノの弾き語りをしたいなどとほざいているようだが、こんな風にして完全にショー化しつつあるボクシングを見るんだったら、試合中に毒霧を股間に吹き付けられて卵を二つ産み落としたインリン高田総統のいるプロレスを見た方が、いくらかマシである。亀田一家でなくともオカネにまみれたスポーツであるボクシングとはいえ、やはり渾身を込めた真剣勝負を僕はボクシングに求めている。

高校時代か大学時代か忘れたが、その時に見た、マービン・ハグラー、トーマス“ヒットマン”ハーンズ、“石の拳”ロベルト・デュランシュガー・レイ・レナードのミドル級4人が、組んず解れつに戦い合ったあの強烈な印象は今でも脳裏に焼き付いている(「黄金のミドル級」と呼ばれていたのだという)。
もちろんのことながらタイムリーに見たわけではなく、当時近所にできたばかりのTSUTAYAで借りてきて見たのだが、それはそれはアツイ戦い振りであった。
長いリーチのパンチを畳みかけるように浴びせていたハーンズが、確かデュランにたった一発のカウンターを食らって敗北する試合があったのだが、当時ハーンズが好きだった僕は「うそやろー」と悲鳴に近い声を出してその凄まじさに感動していた(と記憶している)。どう見ても有利に試合を進めるハーンズが敗れたことにも驚いたし、パンチの嵐を受けながらも一発のカウンターを狙い続けていたデュランの闘志にも驚いた。

とにかくあの4人は格好良かった。

試合をハッキリと記憶しているわけではないけれど、とにかく僕はこの4人の試合を見てボクシングを好きになった。まさに血湧き肉躍るというか、真剣などつき合いは見てる側も興奮状態となり、思わず見入ってしまうことを抑止できなくなる。スウェーでパンチを見切る瞬間、パンチを怖がらずにカウンターに挑む瞬間など、真剣勝負を挑むボクサーを目の前にすれば、決して自分が殴られるわけではないのに、まさに当のボクサーが感じているその時の緊張感に身体は共鳴する。
これはおそらくスポーツ全般において言えることであり、もっと言えば身体所作すべてに起こり得る一つの現象であると思われる。道を歩いているだけで思わず目を奪われてしまう人がいるとすれば、それは身体所作においてその美しさが溢れんばかりに流れ出しているからなのであろう。
おそらくその美しさに身体は思わず反応してしまうのである。

はっきりいって亀田の試合を見ていてもなーんにも感じない。
だから当然ボクシングでもないしスポーツでもない。
ならば、わかりやすくて作為的なストーリーを付与してほぼプロレスにしてもらわないと、若かりし頃に見たあの感動がすり減っていくような気になるので困る。

これ以上ボクシングが痩せていくのはあまり見たくはないのが切なる願いである。