平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「抽選の意味」身体観測第38回目。

先日行われた第87回全国高校ラグビー大会兵庫県予選の決勝では、関西学院報徳学園が対戦。熱戦を繰り広げるが無情にも引き分けとなり、抽選の結果、関学が全国大会への出場権を手に入れた。引き分けた場合は、多分に運が左右する抽選の結果で花園への出場が決まるのである。

この制度について、試合を観る側の立場からすればどうにもスッキリしないと感じる人が多いかもしれない。3年間ものあいだ、全国大会出場を目指して努力を積み重ねてきた選手たちの心境を慮るが故の心境であろう。どうせなら延長戦やサッカーにおけるPK戦のようにゴール合戦を行い、せめて競技力が反映する手段で決着をつけさせてあげたい。その方が選手たちも納得がいくのではないかと考える人も多いのではないだろうか。

しかし、ラグビーには引き分けを容認するようにルールの制定が為されてきた歴史がある。トライするだけでは得点にならず、トライ後のコンバージョンが決まって初めて1点が入るというルールで行われていた当時は、現在に比べてグランド状態が悪くボールも粗悪であったことからほとんど点数が入らなかったと考えられる。引き分けることが想定されるにもかかわらず、ルールの中で明確に引き分けを認めている背景には、勝敗を決することに固執しないという思考の軌跡がある。試合という過酷な状況下で高いパフォーマンスを発揮することの方が、勝敗よりも大切にされてきたのである。

得点方法にヴァリエーションのある今日のラグビーで引き分けるのはほとんど偶然に近い。神様の悪戯とも解釈できる偶発的な経験の中で、おそらく両校の選手たちはかけがえのない何かを掴んだはずである。勝敗強弱の論理で割り切ることができず、自らが人間的に成長しなければ片付けることができない心のモヤモヤをそっとしておくために、人知の及ばざる抽選という手段による決着には大きな意味がある。

<07/11/27毎日新聞掲載分>