平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「体力は数値化できるものなのか?」身体観測第47回目。

 今年度から小学5年生と中学2年生の全児童生徒を対象にした「全国体力テスト」が行われる。50m走や反復横跳びなど8種目の実技テストに加えて、生活スタイルや食事、運動習慣についてのアンケート調査も実施され、運動面だけでなく体力を総体的に捉えることで子どもの体力低下に歯止めを掛けるのが狙いだという。昨年度43年ぶりに実施された「全国学力テスト」の体力バージョンとも言えるこのようなテストが実施されると知り、深い徒労感に襲われた。

 実技テストにより算出された数値を体力の「目安」とする分にはあまり異論はない。数値目標を掲げることで意欲は高まるからである。「50m走で7秒を切る」「全国での順位を100番上げる」などという具体的な目標は、自身の向上心に火を点けることにもなろう。特に複雑な思考がままならない子どもにとっては格好の動機付けになり、結果として体力の向上は望めるかもしれない。

 しかし、子どもにとっての体力とは自己のほとんどを占めるものであり、それを数値に置き換えることにより生ずる現象は頭に入れておくべきである。友達同士のあいだで体力を比較することが可能になれば、必然的に優劣が生まれる。一目瞭然となった優劣が何を生み出すことになるのかは、充分すぎるほど想像しておかねばならない。

 自らの秀でた体力に優越感を抱いた児童生徒は、数値を上げることに執着しがちになり、体力向上が自己目的化してしまう。また、自分には体力がないと必要以上に思い込んでしまった児童生徒は運動が嫌いになってしまう。そして、数値化された児童生徒の体力を眺めているうちに、先生は児童生徒に無意識にレッテルを貼ってしまう。

 そもそも体力の数値化などできないのである。体力というものを数値に頼り過ぎることなく見極める目を、私たちは磨いていく必要があると思われる。

<08/04/08毎日新聞掲載分>