平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「あっ、蹴る!」という予感。

本日4限目のラグビー実技をもって春学期すべての講義&実技を終えました。もちろん演習も。レポートを読んだりテストを採点したりという作業がまだ残ってはいるものの、とりあえず春学期は終わりました。毎年のことながら7月は高校訪問や水泳実習やオープンキャンパスや北区ラグビーフェスティバルなどのイベントが目白押しで、さらには学期末なのでテストをしたり講義のまとめを考えたりしなければならないからヘトヘトになるのです。過ぎ去ってしまえばあっという間なんですけれど、ちょうど水泳実習直前のころは残り少ない気力を振り絞って必死のパッチになります。でももう終わりました。なんとか終えることができました。

これでようやく一息つくことができそうです。読みたいながらもなかなか頁をめくることができずにいた『神々の沈黙』も、明日以降は手にすることができそうです。3000年前まで人類には意識がなかったという仮説、「二分心」。これはオモシロすぎます。これまでの考えが覆されると同時に身体に刻まれた経験の一つ一つがゆっくりとその意味を表し始める。そんな感覚を覚えます。

シーズンは忘れましたが花園ラグビー場でのトヨタの試合で、確かあれは後半残り20分くらいだったと思いますけれど、元木さんが蹴ったボールをボクが押さえこんでトライした場面があります。あのときは明らかに元木さんがキックすることを予感しました。「あっ、蹴る!」という確信が芽生えたと同時にすでにボクは走り始めていたのです。なにかガツンとした感触が頭に残っています。これはたぶん右脳から聴こえた声だったんだと思うのです。その声に疑うことなく走り始めたがゆえに、対面に立つボクより足の速いセコベ・レアウェレの背後に回り込むことができてトライをすることができた。そう思うのです。

それからこれも確か花園での試合。相手はヤマハでした。自陣ゴール前での相手ボールのスクラムでボクはオープンウイングの位置に立っていました。相手スクラムハーフがボールを投入し、スタンドオフにパスを放った瞬間に「あっ、蹴る!」と予感したのです。インゴールに蹴り込み走り込んだセンターが押さえればそれでトライですから、そうした攻撃オプションを選択すると即座に直感したのですね。だがそうは問屋が卸しません。予感した瞬間にボクは背後に向けて走り始めていました。誰よりも早くボールに到達してグラウンディング。事なきを得たのです。この時の「あっ、蹴る!」も、おそらく右脳から聴こえたんだと思います。その声に素直に聴き従ったからこそピンチを救うことができた。身体が勝手に反応したとも言えるのですが、その反応には何か「ガツン」とくるものがあったのです。

ふと思い出したのはこの2つなのですが、じっくりと過去を振り返ってみればこの「二分心」で説明できる事象はもっとたくさんあるような気がしています。平易な言葉で言ってしまえば「ひらめき」なのでしょうけど、そんな偶然性にまみれたものではありません。ボクが感じた「あっ、蹴る!」は確実にそうなることが断言できるほど強く揺るぎないものです。そうならないわけがないと感じられるほど、強く深く信じられるものです。そうでないと、切羽詰まった局面で少しの迷いもなく動き出せるはずがありません。こればかりはそういうものなのですとしか言いようがないのですが、これは少なくとも今の段階での限定条件であり、ボク自身は説明できないことに甘んじたくはないと思っています。今後、読み進めていく中で、そして考え続ける中で、みなさんにもわかるような言葉でなんとか表現したいと思っています。想いとかひらめきとか、そういった言葉をなるべく退けてテクニカルな言葉で説明するにはまだまだ研究が足りません。

さて、今日はこれくらいにしておきましょう。じっくりゆっくり腰を据えて、またあれこれと考えてゆきたいと思います。研究というのはやはり奥が深くて、そしてとても楽しいものなのだなと改めて感じる次第です。