平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

あのウェールズ戦のハイパント。

本日掲載の身体観測にはボクがワールドカップに出場した時のことを書いた。ワールドカップ日本代表メンバーの選出にあたっては、周りにいる人たちの過熱ぶりとは裏腹にただ日本代表チームという環境に馴染もうとしていただけだったなあと、来月行われるサッカーワールドカップ代表メンバー発表の様子を眺めていて思い出したのであった。

メンバー確定前は右肩脱臼癖のせいでタックルへの恐怖心がつきまとっていた時期であり、これまでみたいに思い切ってプレイできないことに苛立ちを覚えていた。ひとまずこの癖にケリをつけないことにはラグビー選手としてやっていけないだろうと焦っていたから、何が何でもワールドカップに出たいという気持ちはほとんどなかったことを思い出す。

とにかく思い切ってプレーできるようになること。
日本代表が目指すところの戦術を理解し、代表チームという環境に馴染むこと。

これらのことで手いっぱいだったのが正直なところで、ワールドカップ出場にどれほどの価値があるのかなんてことは二の次であった。周囲の過熱ぶりから想像してたぶんそれなりに価値あることなんだろうなという予測を立てることはできたが、そこには実感なるものがまったくなかった。周囲のあまりの過熱ぶりに本大会が近づくにつれてなんとなくその気になっていったというのが、この身に残っている実感である。

言うなればワールドカップ出場メンバーに名を連ねたことよりも、当時の平尾誠二監督から「選ばれた」という喜びが大きかった。「ああ、ボクはこのチームの一員として認められたのか」ということに深い満足感を感じたのを覚えている。確か三菱自動車京都時代の寮のベッドの上で電話連絡を受けたと記憶しているが、あのときの夢見心地な感覚は今でも忘れない。と同時に「ええっ、オレで大丈夫なん?」という得も言われぬ不安がその感覚の横っちょにくっついていたことも忘れられない。自分の身に俄かに信じることのできない出来事が起こったときには相反する二つの感情が湧いてくるものなのだということを、この時に学んだ。

そしていざウェールズに乗り込む。これからの成長が期待できるバックアップメンバーとしての選出だとボクは理解していて、だから今回は学ぶべきところを学び、先輩方からは盗むべきところは盗もうやないかと、どこか研修生的な気持ちが拭えずに乗り込んだのが事実だ。だってボクが日本を代表する選手の一人だなどとは到底思うことができなかった。こんなことを正直に言えば「だからダメだったんだよ」と突っ込む方たちが各方面におられるだろうけれど、これが事実なのだから仕方がない。ほとんど代表歴もないのに「あなたは国家を背負っているのですから」と言われたところで「はいそうですか」と実感できるはずもない。こうした実感は、代表チームという環境に身を浸しているうちにだんだん心の中につくられていくものだと思う。

ところが、である。一戦目のサモア戦でFBだった松田努さんがケガをして、日本代表チームが最大の目標に掲げていたウェールズ戦に出場できなくなった。なんとなんとボクに出場機会が巡ってきたのである。そりゃもうびっくりしました。内心は緊張しまくりなんだけれども、その動揺をチームメイトの前でみせることはできないわけで、どちらかといえばチャラチャラとしつつ平気な素振りをみせた。移動のバスでも練習でも記者に囲まれた時でも。でもさ、その反動というものが夜になると一気に襲ってくるわけで、同部屋だった今は亡きパティリアイ・ツイドラキが不動産に関するテキストを読んでる中を、ひとりバスルームに閉じこもって迫りくる恐れや不安にじっと耐えていた。気を紛らわそうと本を開くも、当然のように内容がまったくといっていいほどに頭に入ってこない。膝を抱えながらじっと耐える自らの姿は今となれば笑える光景だけれど、当時は必死のパッチであった。ああ、思い出して緊張してきたぞ()

それで7万人を超える観客に見守られながら試合をしたわけである。試合内容はというと、右肩をかばいながらのなんとも腰砕けなプレイの連続だったなあと、思い出すことも憚られるほどに情けないものであった。それでもね、とてもとても楽しい80分だった。これがワールドカップなのかという実感と、ボクは日本代表なんだという実感が、一気にこの身体を貫いたのだから楽しくないわけがない。そこにはもちろんとてつもない大きな怖れと不安が付随していたけれど、そんなことなどお構いなしに、楽しかった。そう今は言い切ることができる。

試合開始早々に相手SOのニール・ジェンキンスがハイパントを上げてきたことは、まるで昨日のことのように覚えている。そのハイパントは「おい小僧、このキック、とれるものならとってみろ」という相手からの挑発みたいにボクには感じられて、おそらく「日本代表のFBはほとんど経験のない若手だからいっちょそこを攻めてやろう」という戦略的な意図が彼にはあったのだと思う。ボクはなかなか落ちてこないボールを見上げながら「これを落としてトライでもされたらオレは今後2度とボールに触れないかもしれないなあ」といやに現実的な想いが脳裏をかすめていた。

このときってね、結構なプレッシャーなんですよ、ホントに。なんせ7万人の観客がグラウンドを取り囲んでいるものだから、見上げるボクの視界の真ん中にはボールがあって、そのすぐ脇には観客の姿がばっちり捉えられている。「ここはどこ?わたしはだれ?」的なフワフワ感にさらわれてしまいそうになりながら、それでもなんとか無事にフェアキャッチを成功させて事なきを得ることができたのであった。

こうしたやりとりはまさにラグビーの醍醐味。もっと拡大してスポーツの醍醐味だと言い切ってもいいだろうと思う。言葉を介すのではなく、試合の中でプレイを通じて会話ができることは、スポーツがもたらす最も崇高で人間的なよろこびだろう。だから当時のこのハイパントのことは10年経った今になってもありありと思い出すことができるのだ。ボクはかのニール・ジェンキンスと試合中に会話を楽しんだ。英語でもなく日本語でもなく楕円球で通じ合ったのだと、ボクは思っている。

ああ、なんだか無性にラグビーがしたくなってきたなあ。コンタクトプレーはもうできないから、せめてタッチフットボールがしたい。どうせ動かなくなった身体に落胆することは目に見えているが、それでも武術的な身体運用に馴染みつつある自らの身体を信じているからおそらくはそれなりにステップは踏めるはずだし、走れるはずだ。

こうして書いてみて改めて感じるのは、やはりボクはラグビーに育てられたのだということ。だから否定するなんて姿勢はもってのほかで、こうして得た数々のものをできる限り後世につないでゆく義務が生ずる。「こんなにおもろいもんなんやで、ラグビーって」とノロケまくるのも悪くないが、ボクはもっと的確にそして冷静に語り継いでいきたい。単なる熱さでくるむことをせず、ひとつひとつ言葉を紡ぎながらその魅力について語っていくことができればなんて幸せなことだろう。よし、いっちょやってやろう。