平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「スポーツは祭?」身体観測第124回目。

「スポーツとは何か?」。現役選手だった頃は考えもしなかったけれど、研究者となってからは一度たりとも頭から離れない問いである。一種の遊びには違いない。だが、体力向上や集団訓練のための機会でもあり、チームによれば軍国主義を想起させるような厳しさが伴うこともある。また、競技によっては生業としても成立する。一口にスポーツを定義するのはそう簡単ではない。


ただ、外来文化であるということは言い切れる。ほとんどのスポーツは明治期に輸入された。当時の日本人たちは初めて耳にするスポーツという言葉に、どのような思いを抱いたのだろうか。神戸や横浜などの港町では、楽しそうにプレーする外国人たちの様子を恨めしげに眺めていたかもしれない。いや、けったいなことをする人たちだと見向きもしなかった可能性だってある。いずれにしても目新しいものを見様見真似で取り込んだ。あれからまだ130年ほどしか経っていない。


先だってスポーツ基本法が成立したのは周知の通りである。前文では、「世界共通の人類の文化」としてのスポーツは「国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のもの」として位置づけられている。日本はこれからスポーツ立国なるものを目指すことになったが、あまりに美辞麗句が並ぶ文章には違和感を覚えずにはいられない。それを言うなら音楽などの芸術だろうと突っ込みたくもなる。


たぶん日本人は未だにスポーツの本質が理解できていない。だからこそこれみよがしに礼賛する。商業主義やナショナリズムをトレースする他に解釈する視点を持たない。もちろん僕も例外ではないが、ただ実感としては「祭り」に近いものがあると思っている。


長らくの競技経験がありながらも理解できないほどの厚みがスポーツにはある。そう信じて研究を続けていきたい。


<2011/07/19毎日新聞掲載分>