平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「スピード社の水着騒動」身体観測第50回目。

スピード社の開発した新型水着を巡って水泳界は揺れている。今年に入ってからというもの、水の抵抗を最小限に抑えることのできる「レーザーレーサー」を着用した選手が世界記録を次々に塗り替えているのである。この水着を着るか否かで北京オリンピックの結果に影響が出るであろうことは想像に難くない。しかし、日本水泳連盟が契約しているのはミズノ、アシックス、デサントの国内3社であり、この契約自体が見直される動きがあるものの、現時点では日本の選手はスピード社の水着を着ることができない状態にある。

水着が変わるだけで記録が伸びるというのは俄には信じがたい話である。ラグビーをしていた頃を思い出せば、ステップで相手を交わすのが得意だったこともあって、スパイクの履き心地にはいつも気を配っていた。スパイクの中で足が滑ると急激な方向転換ができないので、滑らないような工夫もしていた。ラグビーだけでなく陸の上で行うスポーツは走る動作なくして成り立たないことから、スパイクはことさら大切な「道具」となる。必要不可欠という点で、水泳選手にとっての水着に対する思い入れは、もしかするとかつて私がスパイクを大切していたあの感覚と似ているのかもしれないと思えてきた。

スポーツには「道具」が欠かせない。選手は、ボールやスパイクといった「道具」と腰を据えてじっくり付き合っていくことになる。「道具」への接し方もスポーツ選手に求められる資質の一つである。しかし、使用効果にこれほど大きな違いが出れば、「道具」はじっくり時間をかけて馴染ませるものではなくなってしまう。このことが選手の心にもたらす影響は少なくない。

科学的な根拠に基づく新商品の開発が競技力の向上に繋がることは否定しないが、愛着に溢れた「道具」を使うことでもパフォーマンスは高まると、私は信じている。

<08/06/03毎日新聞掲載分>