平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「デフラグビーを指導して」身体観測第69回目。

 先日、デフ(Deaf)の人たちにラグビー指導をする機会に恵まれた。聴覚障害者によるデフラグビーは国際大会への参加や海外遠征など積極的に活動しており、強化合宿の臨時コーチとして招かれたというわけである。

 指導内容を考えるに当たって率直に興味を抱いたのは、彼らがプレー中にどのようなコミュニケーションを行っているのかという点であった。

 私が中高生にいつも口酸っぱく指導しているのは、しっかり声を出しなさいということである。発せられた声を聞いてサポートしてくれている仲間の存在を確認し、その仲間との距離を察知することで安心してプレーができる。声色によってはサポートが誰なのかもわかるから、「足の速いアイツだから早めにパスをしよう」という判断材料にもなる。耳に入る無数の声を拾い集めながらプレーするのが当たり前だった私には、デフラグビーにおける意思疎通の方法が気になるのは必然だった。

 しかしながらこのような疑問はたった一回の指導機会だけで氷解するはずもなく、今でもよくわからないというのが正直なところである。それでも一つだけ確信を得たのは、デフの人たちは極めて集中力が高いということである。

 練習の合間に集合をかけて説明をしているときに、話をする私に向けられる眼差しは、心の奥底まで見透かされそうなほど強かった。こちらの話を理解しようとする意志が痛烈に感じられ、思わずその意志に呼応して何とかして伝えたいという気持ちにさせられた。だから練習も終わりに差し掛かかる頃には、説明の際に身振り手振りが増えていたのだろうと思う。

 こうした集中力が試合で生かされ、全身でお互いを感じ合うような体験をしているのだとすれば、彼らは私の経験したラグビーよりももっと深い楽しみを味わっているのではないだろうか。今はこのように想像している。

<09/03/24毎日新聞掲載分>