平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

鈴木武氏を偲んで。

かれこれ10年くらいお付き合いのあった方が亡くなられていたことを知る。ここのところよくモーニングを食べに行く喫茶店【キューピット】のママの、「ここしばらく鈴木さんをお見かけしていないのだけれど・・・」から始まり、回り回って僕のところに安否を確認できないかという連絡が入った。それが昨日。電話番号は知らないがお家の場所を知ってたので、先ほどブラリと立ち寄ってみるとそういうことだった。

鈴木さんとの出会いは【PURE】という喫茶店神戸製鋼所青木寮の西隣にポツンとあった「PURE」に、いつからかモーニングを食べに行くのが習慣となっていた。6種類もある豊富なメニューに加えてヨーグルトなどのトッピングもできるモーニングは、当時、栄養学に基づいて身体作りに一所懸命だった僕にとってはまさにうってつけ。「朝のコーヒー」に憧れ始めた頃だったこともあり、また徒歩1分もかからないロケーションも相まって、日々足繁く通った。ランチはママの愛情がこもった日替わりメニューでご飯のお代わりも自由。モーニングとランチ、1日に2度行くこともざらにあった。

そうしてしばらく通い詰めているうちにいつからか店のママと話をするようになった。顔馴染みになればついつい話をしたくなるのが僕の性分でもあり、お互いに顔見知りでありながら一つの言葉も交わさないことになんだか落ち着かなくなるのだ。最初にラグビー部の先輩を通じて足を運んだこともあり、そこにボクの居場所ができるまでそれほど時間はかからなかった。勝った試合の翌日は軽やかに、負けた試合のあとは翌々日、まるで怒られるのを覚悟した子どもみたいに【PURE】のドアを押した。

そこにお客さんとして通っていたのが鈴木さんだった。元神戸製鋼所にお勤めで、定年を迎えられてからは釣り鐘に関する考古学的な調査や研究を為さっておられた。「趣味なんですよ」とはるか年下のボクにも丁寧な言葉づかいで楽しそうに話をされ、鼻っ柱ばかり高いボクのラグビー話に耳を傾けてくださった。昼下がりにコーヒーを飲みながら長々と話をしたこともあった。つぶらな目でニコニコ笑うあの笑顔は今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。

ボクたちが出会った場所である【PURE】は2007年8月4日に店を閉めた。わざわざどこかで約束をして会うような関係ではなかったので、「PURE」がなくなれば自ずと会う機会はなくなる。はずだったが、現役引退後のボクは寮を出て近くのアパートに引っ越しをした。そこから歩いてすぐのところに鈴木さんは住んでいた。本を片手によく散歩をされるらしく、駅からの帰路や関西スーパーで買い物をした帰り道でよく出会した。挨拶をしてお互いの健康を気遣うときもあれば、テクテクと歩く姿をお見かけするにとどまるときもあったが、ボクが住んでるところの近くで調べ物をしながら元気に過ごしておられる気配だけはずっとあった。それがボクにどれほどの安堵感を与えてくれていたのか。お亡くなりになったあとになってその大きさに気づいて、やり場のない虚無感が心を覆っている。

毎日新聞での連載が決まったんですよと告げた【PURE】でのある日。鈴木さんはまるで我がことのように喜んでくれた。スポーツ現役選手で大新聞に連載を持つなんてことは快挙だ、とありとあらゆる賛辞を頂いたことを思い出す。それから2年が過ぎようとするある頃、連載をまとめて本を作ってくださることになった。これは【PURE】のママ、平井さんとの目論見だったようで、編集を鈴木さんが、挿絵を平井さんが描くということで話をしていたらしい。限定5部。連載36回分をまとめた鈴木さんお手製の『平尾剛の身体観測』は今でもボクの宝物だ。

込み上げる感情を抑えきれずこうして書いていると、あとからあとからいろいろな思い出が浮かび上がってくる。【PURE】に集まる常連のお客さんたちは元気にしているのだろうか。鈴木さんが亡くなったことをあのときのみんなは知っているのだろうか。いてもたってもいられなくなり、すぐに平井さんにメールを送信した。

奥さんの話ではソファでサッカーを見ながらまるで眠るかのようにそっと亡くなったらしい。苦しまずに逝かれたと聞いてどれほどホッとしたかわからない。お手製の本を上梓する際に一度だけ上がらせてもらった書斎は綺麗に片付けられていて、遺影の中にはいつものあの笑顔があった。手を合わせて家を出た途端に込み上げるものを抑えられなくなり、道端で立ちつくしてしまった。今この瞬間が夏なのか、暑いのかどうかなんてわからなくなった。ただ日差しが降り注ぐ中にいて、まるで地に足がついていないかのようにどうしていいのかわからなくなった。

どこでどのようにして書き終えたらよいのかがわからないので、鈴木さんに作っていただいた本に書いたあとがきを転記して、筆を置きたいと思う。

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あとがき

 楕円球を追い続けていたあの頃の僕は、そのうち新聞でコラムを書くようになるとは夢にも思わなかっただろう。グランドの上では多くを語る必要などなく、短い言葉をやり取りしながらボールをつないでトライを目指すのだから、ラグビーはおおよそ「書く」とは似ても似つかない。「ことば」になりにくい「感覚」を頼りにしてプレーするのがラグビーなのである。

 ラグビーに限らずとも、おそらくスポーツはみなそうなのだろうと思う。ボールに対して瞬間的に反応するしなやかな身体があって、行う者はそうした身体を目指して日々の鍛練に打ち込み、試合で発揮する。そして、観る者はしなやかな身体が伸びやかに動く姿に感動を覚える。いくつものしなやかな身体が絡み合うことで生まれるスーパープレイに酔いしれる。

 今になって感じているのは、「ことば」が必要なのはスポーツの内部ではなく外部なのではないかということだ。アスリートのパフォーマンスを艶めかしく活写するには「ことば」が不可欠なのは言うまでもなく、私たちは活き活きと描かれた言説を通してアスリートが実感している「感覚」にアクセスすることができる。

 選手というのは、あらゆる職人が無口であるように自らのプレーを活写することは困難だろうと思われる。緊迫した場面であれほどのステップを踏めたのはなぜかと問われても、そこに理由などない。然るに「ことば」で説明することなどできやしない。「相手選手が向かってきたからそれに対応したまで」なのである。熱い鍋に触れて思わず「アチッ」と引っ込めたのはなぜかと訊かれても、「熱かったから」としか答えられないのと同じ原理である。

 「感覚」と「ことば」は相容れない。

 『身体観測』の連載が始まったのは現役最後の年である2006年。長引く怪我で戦線を離脱しており、その前のシーズンでは一度も試合に出場していない。「もしかするとこのまま引退?!」といった不安を抱えたまま開始したこの連載は、僕にとってとても大きな意味をもっていたのだなと今では感じている。そう感じるのは、『身体観測』を通して現役時代に培った「感覚」を「ことば」にしていたのだなと思うからである。「感覚」の世界であるグランドの上から「ことば」の世界へと足を踏み入れた。粛々と書き連ねることによって、僕はゆっくりと引退への道程を歩んでいたのだと思う。

 僕のラグビー人生を語る上で『身体観測』はなくてはならない。それをこうして1冊の本にまとめることを企画してくれた平井直子さんと、丁寧な編集をしてくれた鈴木武さんには心より感謝している。

 ご両人とは、神戸に住み始めてから約8年のあいだに足繁く通った喫茶店「PURE」でご縁を頂いた。残念ながら「PURE」はもう存在しない。だけど、僕たちの合作である一冊の本はこうして存在している。僕たちが「PURE」で出逢い、僕にとっての「PURE」が何気ない日常の一コマであったことは、いつまでも変わることはない。そのことに思いを馳せてみれば、僕には感謝以外のことばがみつからない。本当にありがとう。

  2008年2月 平尾剛

鈴木さん、ボクは鈴木さんからたくさんのものをいただいたような気がします。でもいただいたものがどういうものなのか、今のボクにはうまく言葉にすることはできません。ただ、軽々しく言葉で表せないほどのとてつもなく大きななにかということだけはわかっています。感謝してもしつくされません。どうか安らかにお眠りされんことを心よりお祈りしています。安寧のうちにありますようにずっと思い続けています。