平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

ダラダラしちゃった言い訳。

12月も10日が過ぎようとしている。それにしても時が経つのは早すぎる。この決まり文句はありきたりだけに避けようとは思うのだけど、どうしても書いてしまう。なぜ書いてしまうのかは、それほどに実感がこもっているからということでもあるし、おそらくほとんどの人が感じていることだろうと想像できるからでもある。冬休みまであと2週間。まだ来年もあるけれど年内に限れば講義もそれぞれあと2回ずつ。ラストスパートだな。

金曜日のこの時間はひとまずホッと一息つけるから、読みかけの本を読んだりして研究に時間を費やすことができる。次週の講義の準備に充てる時もあるけれど、なるべく研究をするようには努めている。でも今日のところは全く何もする気が起こらず、本を読んでいてもただ言葉をなぞらえているだけで一向に内容が沁み込んでこなかった。やや疲れておるなと感じながらも「でもやらんとアカンやろ」と自らをけしかけてはみたが、案の定、能率は上がらずに余計に疲れを上乗せする始末。仕事の合間に時間をみつけてできることとできないことがあるのだなと、つくづく思う。思考スピードが遅いボクだからってことは多分にあるだろうけれど。

夏休み中から読み進めているのが『善の研究』。その中に出てくる「純粋経験」という概念を何とか理解したい。ラグビー選手をはじめとするスポーツ選手が動きの中で感じている主観を、この概念で説明できるかもしれない。そう直感したものだから、一文一文を噛みくだくようにして読んではいるものの、そう簡単には腑に落ちてはくれない。なんとなーく言わんとしていることはわかるんだけれどもね。ノートを広げて図で表してみたり、それを見返しては本当にこれでいいのかなと頭を抱えてみたり。まあこうしたことを続けていく中でだんだん腑に落ちてくれるんと違うかなあと思ってたりもする。だから気長にいこうと自分をなだめすかしてたりもする。

「あーでもない、こーでもない」と考えるのは体力がいる。ただ頭を使うだけだろうと思いきやそうではなくて、体力がいるのだ。身体の力。疲れがたまっているときには思考が上滑りするような感覚に陥り、全くといっていいほど考えられなくなる。あのときの回転の鈍さはなんとも形容しがたいほどにどんよりしていて、イライラしてしまうんだなあ。とか言いながらそんなときほど
ムキになって考えてしまったりもするんだけどね。そううまくはいかないものです

というわけで今日はほとんど集中できませんでした。
という言い訳を今日のボクは書きたかったのでした。