平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

「歓声の後押し」身体観測第122回目。

 スポーツ指導は本当に難しい。マニュアル的な指導は空回りするし、選手時代の経験を無理強いすれば選手との間に溝ができる。おそらくはこのどちらにも偏ることのない指導が理想なのだろう。各スポーツで活躍されている指導者を参考にしつつ自らの経験を一つ一つ掘り下げているのだがなかなかうまくはゆかない。

 基本技術はそうでもないが、パスがうまくつながるために必要な選手間の連携を教えるのはとても難しい。そこには「状況判断」が絡んでくるからである。刻々と変化する状況で適切なプレーを選択するには、味方同士で一つの判断を共有することが求められる。僕はパスだと思ったがあいつはキックで、もう一人はランだと判断した時点でチームプレイは成立しない。個々の状況判断における正否の振れ幅を少なくしなければ選手間の連携は成り立たないのである。せめてチャンスかそうでないかは感知しておきたい。

 いかにして正確に状況を判断できるのか。現役時代を振り返って気づいたことがある。歓声である。パスを受けた瞬間の、歓声を含む競技場のざわめき具合が状況を判断する一つの指標になっていた。競技場全体がうねるような歓声は大チャンスの証拠。だから思い切って勝負をかける。そうでなければより安全なプレーを選択していずれ到来するチャンスを待つ。俯瞰的にグラウンドを見下ろす観客の、期待と落胆が入り交じった歓声が的確な状況判断に一役買っていたのである。

 もちろんこれは無意識的なものである。明確に意識していたわけではなく、あくまでも直感に過ぎない。だからこそ実感が伴った確実な経験として僕の身体に刻印されていた。状況を的確に判断する能力は個々の資質だけに由来するものではなく、味方はもちろん敵や観客を含めた全体で育まれるもの。なるほど、教えるのが難しいはずである。


<2011/06/21毎日新聞掲載分>