平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

花園決勝東福岡vs御所実と『自由と規律』。

あけましておめでとうございます。

これだけ放置しておいていきなり更新するのは気が引ける。更新停滞に関する弁明を一言でも二言でも述べないと気がすまない。これまではそうだったのだが、今日のところは強引にすませることにする。というのは、この長期休養開けについての弁明をいかにして書くかに頭を悩ませていたことが、更新停滞を長引かせている一因でもあるからだ。

だから更新を楽しみに待っていた方々を思い浮べつつ、画面に向かって深々と頭を垂れて「すみません」と一言口にして、このまま書いていくことにする。私的なブログなのでどうぞご勘弁ください。

2015年が始まり、1週間が経とうとしている。講義は明日からだが、その準備や資料の整理などで朝から研究室に来ており、今日が仕事始めである。この年末年始は寝正月を過ごしたこともあるのか、油切れを起こしているかのような頭の回転の鈍さに仕事は殆ど捗らない。休みボケってやつだ。花園(高校ラグビー全国大会)や大学ラグビーの試合をひたすらテレビで観戦した影響もあるのだろう。細胞のひとつひとつがあのときの興奮を思い出してざわざわしている感じで、じっとデスクに座っていられないのだ。「ラグビーがしたい」という声なき声が身体の内奥でリフレインしている。

その高校ラグビー全国大会の決勝戦が明日に行われる。対戦カードは東福岡vs御所実業。数日前のツイッターで呟いたのだが、望んだ通りのカードになって僕はほくそ笑んでいる。

今年はなんといっても東福岡が強い。高校日本代表候補12人を擁し、個々の能力に秀でた選手が集まっていながらもそのチームプレーが素晴らしい。集団と個のバランスが高いレベルで保たれているその実力は計り知れず、高校レベルでは考えられない域に達していると見受けられる。周りにいるラグビー経験者ならびにラグビーウォッチャーの誰に聞いても「今年は東福岡でしょう」と口を揃えるくらいだ。

ベスト8の時点では東福岡の強さが際立っていた。おそらく他のどの高校も歯が立たない。そう思った。ただ一校を除いては。

東福岡をアップセットする。その可能性を感じさせたのは御所実業だった。

超高校級WTB竹山選手は歴代の選手と比較してもちょっとスケールが違う。ライン際でトライを奪うのはもちろん、ラックサイドでの突破力があり、リンクプレーヤーとしてのパスもうまく、さらにはプレースキッカーまで担うのだから恐れ入る。瞬間的な加速も群を抜いていて、絶えず肩の力が抜けたプレーぶりに大物感が漂っている。戦術的にも精神的にも彼を中心としてまとまっているのが御所実業である。

ただ、でも、東福岡と比較すればやや力不足の感はあった。東福岡以外のチームと比べればその強さに遜色はないが、まだまだ荒削りな試合運びが見て取れた。勝負所でミスをする、誰が見てもパスのタイミングなのに突破を試みてしまう、不用意なキックが散見されるなど、大きな流れに乗り切れていない。なにかが少し足りない。この「なにか」をうまく説明することは難しいが、あえてそこをいうとすれば「チームとしてのまとまり」になろうか。15人がまるでひとつの生命体のようにプレーする。ラグビーだけでなくどの集団スポーツにも理想のあり方だが、まだまだこの部分で不完全なようにみえたのだ。

とはいえ、その潜在能力は計り知れず。まだまだ眠っている力がこのチームにはある。もう少し試合を重ねれば開花するのではなかろうか。その期待を込めて、決勝戦を待っての東福岡との対戦を切望したのである(花園はベスト16からは対戦相手を決める際に毎回抽選を行うのである)。

準々決勝、準決勝を経て、御所実は案の定「チームとしてのまとまり」が深まりつつある。準決勝の京都成章戦は40点を奪い、完勝している。この点からも期待はできる。応援はしている。だが、それでも東福岡有利の見立ては変わらない。それほど実力が突出しているのだ。もし御所実が勝つとするならば、モールを多用するなどFW勝負を仕掛け、スローな展開に持ち込んで、ここぞというタイミングで竹山選手を走らせたときだろう。その意味ではFW勝負とBKへの展開の切り替え役である、主将も務めるSH吉川選手の判断が決め手となる。走り合い、点数の取り合いになると間違いなく東福岡に軍配が上がる。

なーんて、評論家ぶって好き放題に書いちゃいましたが、一ラグビーファンの戯れ言として読み捨て下さい。やはり花園は何歳になっても憧れであり、高校時代に出場が叶わなかった僕はたぶんずっと花園出場選手に憧憬の念を抱き続けるでありましょう。決勝戦、白熱の試合を期待しております。

年初め、最初にふと手に取ったのが池田潔『自由と規律』(岩波新書)でありました。頭の回転を挙げるべくアドバンスボードに乗っているときにふと目についたのがこの本の背表紙。もちろん再読なのですが、スポーツマンシップがなんたるものか、当時イギリスのパブリックスクールにおいて運動競技が意味するものはなんであったのか、読みながら徐々に背筋が伸びたのでした。ラグビーという運動競技が、現役選手やかつて選手だった私たちに教えてくれるのは、誤解を恐れずにいえばそれは自由と規律に尽くされると思います。

ラグビー三昧で幕を開けた2015年。最初のブログは次の言葉で括ります。

正しい主張は常に尊重され、それがために不当の迫害をこうむることがない。如何なる理由ありても腕力を揮うことが許されず、同時に腕力弱いがための、遠慮、卑屈、泣寝入りということがない。あらゆる紛争は輿論によって解決され、その輿論の基礎となるものは個々のもつ客観的な正邪の観念に外ならない。私情をすてて正しい判断を下すには勇気が要るし、不利な判断を下されて何等面子に拘ることなくこれに服すにも勇気を必要とする。彼等は、自由は規律をともない、そして自由を保障するものが勇気であることを知るのである。(池田潔『自由と規律』156−157頁)

今年もどうぞよろしく。