平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

深層筋と表層筋の関係。

木曜日は神戸女学院で非常勤の日。電車に乗って、岡田山の坂を上って、緑とヴォーリズ建築の校舎に囲まれた場所で授業をするのはとても心地がよい。最寄り駅の門戸厄神から坂を上っていくと、だんだん時間の流れ方がゆっくりになる。それがまたたまらなく気持ちいい。


僕が受け持っているのは「ボディサイエンス」。今日は「深層筋」の話をした。私たちの身体を支えている筋肉は表面を覆っている表層筋だけではなく、その内奥には極めて優秀で機能的な深層筋がある。その中でも特に重要なものに「大腰筋」があり、これは背骨の腰の部分(腰椎)からお腹を横切り、骨盤を通って脚の内側の付け根(小転子)に付着している筋肉で、上半身と下半身をつないでいる唯一のもの。これを活性化すれば、腰痛、肥満、胃弱、肩凝り、高血圧、不整脈、喘息などの症状の改善にも役立つと言われている。この大腰筋はスポーツ界でも注目されており、今では「もっとも使われていない、もっとも太い筋肉」であるこの大腰筋をいかにして活性化できるかが、身体を鍛える上での大切な視点になっている。


自分で書いておきながら何だけれど、「鍛える」という表現にはやはり違和感を覚えてしまう。どうも表層筋を鍛えるときの運動が連想されるからである。筋トレ特有の器具を用いて筋繊維を壊す運動というのは、どうしても上から目線で身体を捉えているかのように思えてしっくりこない。もちろん表層筋を鍛えることも大切なのはわかっている。現に、どっぷりと筋トレに嵌っていた時期も過去にはあるのだから、重々承知している。


だがしかし。選手時代にどっぷり浸かってきたスポーツ科学的な身体論を、一から見直して新たな理論を構築しようとしている身としてはこうした述語の一つ一つが気になる。こればかりはどうしようもない。能楽師の安田登氏は、深層筋をキタエルことについて「目覚めさせる」「活性化する」と表現されているが、氏のこうした思考の足跡からもやはり「鍛える」というのはどこかニュアンスが違うと感じる。どちらかといえば「練る」という方がしっくりとくる。あくまでも僕の中ではということだが。細かいことをぐだぐだとすまない。


閑話休題


表層筋はガンガンに鍛えることができる。ボディビルダーの見事な身体を見ればそれは明らかだ。だが深層筋はできない。その理由の一つに、特定の筋肉を意識することが困難である、ということがあげられる。表層筋の一つである「力こぶ」の上腕二頭筋を意識することは簡単だ。力めば固くなるし、直接触れることだってできる。古典的な筋トレでは今まさに鍛えている筋肉をはっきりと意識して行いなさいと言われる。バーベルを持ち上げながらどの筋肉に負荷がかかっているのかを意識することで、より効果が上がるのだという。晩ご飯の献立を予想したりデートコースを考えながら筋トレをしたところで効果は薄いのである。


しかし深層筋はそう簡単にはいかない。身体の内奥にあるので意識することが難しい。というかできない。専門的な知識がなければそもそもどこにあるのかすらはっきりしないわけで、そうなると当然のように直接触れることなどできない。表層筋を鍛えるのと同じ方法では練ることができないのである。この点からも「鍛える」ではなく、「目覚めさせたり、活性化したりする」ものであることがわかる(深層筋を活性化させるための施術に「ロルフィング」がある。興味がある人はぜひ調べてみてほしい。機会があれば僕も一度体験したいと思っている)。


それからこれがもっとも大切なことだが、表層筋を鍛え過ぎれば深層筋が働きにくくなる。つまり、表層の筋肉に頼る身体の使い方になってしまうのだ。具体的な例を挙げると、先に述べた大腰筋は腹筋が発達し過ぎると使いづらくなる。6つに割れるほどに鍛え上げた腹筋は、確かに見た目には美しいかもしれないが、機能性からすれば大したことはない。太ももを上げる、上体を起こす動きを支えている大元は大腰筋である。その大腰筋がしっかりしていなければ、いくら表層の筋肉を鍛えたところで身体は安定しない。むしろその働きを阻害するのである。だから腹筋のやり過ぎは禁物なのだ。


「見た目にはそれほど筋肉がついているようには見えないけれどタフで力が強い人」は、知人や友人に一人や二人はいるだろうと思う。彼らの力の源泉はおそらく深層筋にある。もちろんそれをすべての原因とするのは暴論だが、ただこれだけ表層筋への偏重傾向が顕著になりつつある中では、敢えてこう断言してみてもいいのではないかと思うのだが、どうだろう。


深層筋と表層筋の関係。これについてはもっと詳細に研究しないといけないと考えている。身体運動を筋肉だけで解釈するのには限界があることももちろん承知しているが、されど筋肉を無視することができないことも事実であって、そこを突破するにはこの両者の関係から思考を開始するのが妥当かと思われる。それにこの問題は、僕自身がたくさんの怪我をした自らの身体とうまく付き合っていくためには避けて通ることはできない。


現役を退いたスポーツ選手は皆どこかに古傷を抱えている。現役時代、鍛えた筋肉で支えることができている間は痛みが出ないにしても古傷はやがて痛み出すことだろう。身体を支え続けてきた表層筋は時間が経つにつれて衰えてくる。それと同時に痛みや疼きが身体をチクチクする日々がおそらくはやってくる。いや、もしかするとズキズキかもしれない。その痛みや疼きと上手に付き合うことが僕たち元スポーツ選手にとっては最重要課題である。その課題を解くにはやはり深層筋を目覚めさせるしかない。表層筋に頼らない身体の使い方にシフトするしかない。こちらの方向に舵を取らなければ、幾度も手術で切り刻み、数本のボルトが埋め込まれたままのこの身体はやがて悲鳴をあげるに違いない。


おー、こわ。とは言え、これもまた一つの挑戦であり、「身体をつくる」って考えると、とても楽しみではある。この身体は格好の実験材料となりうるわけで、これから先も身体で遊んでしまおうと思う。


最後に一つだけ。


能を舞う能楽師60歳でやっと一人前になり、80歳を超えても現役で観る者を魅了する舞を舞う。なぜそんなことが可能か。言うまでもなくそれは深層筋をうまく使っているからである。「立ち方」や「すり足」を始め、呼吸の仕方や声の出し方に至るまでの能に求められる様々な所作が、深層筋の活性化を促す。これは、老えば衰える表層筋とは違い、深層筋は老いても練り続けることができるということだ。また深層筋は、立ったり座ったりや歩くなどの日常的な動きの中でも培われるという。わざわざジムに通って派手に運動をする必要などなく、生活を正すことで身体に潜在している力を呼び覚ますことができるとなれば、希望も湧いてくるというものである。