平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

休日のテラスにて。

今日は娘と二人でお留守番。ミルクを飲んで眠りについたので、テラスに出てPCを開いている。爽やかな秋晴れで、肌に触れる風がとても心地よい。休日らしい休日だ。

ところどころに雑草が生え、手入れが行き届いているとは決していえないちょっとした庭でも、日差しを浴びた緑はとても美しい。そよ風にたなびく枝葉は心とからだのこわばりを解いてくれる。子育てや仕事に追われる日々でつい置き去りになる、ほっこりとした心持ちがよみがえってくる。一息つく、ってこういうことだ。

雲がまばらな青空も美しい。海を挟んで向かいにある倉庫群も、普段の喧騒が嘘のように静かで、その向こうを走るハイウェイの音だけが聞こえてくる。それもなくなればもっと静寂なのに、という叶わぬ願いを抱きながら、ただただ今の心地よさに身を委ねると、これまでの人生での過ちや、やるべきことややらざるをえないことが忘れられて、とても幸せな気持ちになる。

踵を返して部屋に戻り、娘の寝顔を見る。穏やかな表情で安らかに眠るその姿に思わず目を細める。心から美しいと思う。

そう見届けてからまたテラスに戻る。

美しいものをみたときの心に広がる静かな波紋。ただただ美しいとしか表現できない心のありようは、部屋にお気に入りの絵画を飾り、お気に入りの音楽を聴く人の胸の内に広がる。遠くに広がる景色、お気に入りの置物や文房具や本。心の琴線に触れるありとあらゆるものから私たちは無意識に美しさを感じている。

美意識を大切に育むことは、きちんと年を重ねるためには不可欠なことなんだ。肌にじんわり温かい日差しを浴びながら、そう実感している休日の昼下がりである。

やや感傷的になっている僕の頭にあるのは長田弘の詩、「世界はうつくしいと」である。

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うつくしいものの話をしよう。

いつからだろう。ふと気がつくと、

うつくしいということばを、ためらわず

口にすることを、誰もしなくなった。

そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。

うつくしいものをうつくしいと言おう。

風の匂いはうつくしいと。渓谷の

石を伝わってゆく流れはうつくしいと。

午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。

遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。

きらめく川辺の光はうつくしいと。

おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。

行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。

花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。

雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。

太い枝を空いっぱいにひろげる

晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。

冬がくるまえの、曇り日の、

南天の、小さな朱い実はうつくしいと。

コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。

過ぎてゆく季節はうつくしいと。

さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。

一体、ニュースとよばれる日々の断片が、

わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。

あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。

うつくしいものをうつくしいと言おう。

幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。

シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。

何ひとつ永遠なんてなく、いつか

すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。

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日常にありふれた美しさ。それを見過ごさないだけの感性は手放したくないと思う。

娘が泣いている。そろそろミルクの時間だ。