平尾剛のCANVAS DIALY

日々の雑感。思考の痕跡を残しておくために。

2020年7月22日。

友人の訃報を受けてからずっと、心がざわつきっ放しだ。小学校から大学までを同じ学校で過ごした友が、すでにこの世にいないことが受け入れられない。いつも友達の輪の中心にいて、周りからも一目置かれる存在だったその友と、もう一緒に時間を過ごすことができない。そう思うと胸が張り裂けそうになる。

気持ちの整理がつかないまま、こうしてブログで心情を吐露することを許してほしい。ともすれば読むに値しない、僕個人の感情がダダ漏れのテクストになるかもしれないが、今は書かずにはいられない。僕のこの深い悲しみに付き合いきれない人はここで読むのをやめてほしい。暗い感情で書かれたテクストは、その暗闇にしばしば読み手を巻き込むことがあるからだ。それは僕の本意ではない。

身を持ち崩しそうになるほど混乱をきたしたこの感情を、書くことによって幾ばくか昇華すること。それが今日のブログの目的だ。どんな内容になるのかも、僕自身、まったく見当がつかない。ただキーボードを叩く指に任せて、つらつらと書いてみたいとだけ今は思っている。

生死の問題はこれまでにも漠然と思考を重ねてきた。だけど、「近しい友人の死」については手つかずのままだった。そんなことは起こり得るはずがない。40代も半ばに差し掛かって、あまりに楽観的にすぎるこの見通しにはなんの根拠もないけれど、そう信じて疑わずに今日まで生きてきた。

突然の訃報に触れたときはただただうろたえるしかなく、涙もすぐには出なかった。休日の昼下がりにグループラインで送られてきた文面を最初に読んだとき、なにかの間違いだと思った。彼自身ではなく、彼の親族に不幸があったとの知らせを誤読したに違いない。そう思って読み返してみたが、やはり彼自身が亡くなったと書かれてある。居ても立っても居られなくなって、その知らせをくれた友人に電話をかけてみた。亡くなったのは本人だと電話口で告げられ、ここでようやく涙がこみ上げてきた。

今でもまだ現実を受け入れられずにいる。大学の行き帰り、そこの角からひょこっと顔を出すような気もするし、スマートフォンの画面を眺めていると、ふと電話がかかってくるんじゃないかとさえ思える。彼とは大学を卒業してからも年に数回は会う親しい間柄で、飲みながら近況報告をしたり、ときに麻雀を一緒にしたりした。互いに関西在住だから空間的な距離も近く、いつも当たり前にそこに居た。どちらかが声をかければすぐに会える距離に彼は居て、だからというのか、わざわざ会うというよりもなにかのついでに会う機会がときどき訪れる。そんな風だった。

今はもうこの世に彼はいない。同じ空間をともにすることは金輪際、叶わない。彼はもうこことは違い、遠く隔たったところに旅立った。でも不思議なことに亡くなって以降は、ずっと「ここ」にいる。振りほどこうにも振りほどけないほど執拗に、彼は僕の意識を埋め尽くしてしまう。仕事のあいまに息をついたその瞬間、僕は無意識的に彼のことを考え始めている。若かりしころの思い出がよみがえって懐かしい気持ちになり、目元にシワを寄せながら楽しそうに笑うその表情が鮮明に浮かび上がる。麻雀をしながら何気なく交わした会話もふと浮かぶ。肉体としての命は失われたとしても、彼の存在は生前よりも明確にその輪郭を際立たせる。彼と関わった時間があとからあとから思い出されて、それが心の混乱にさらに拍車をかける。

いつも当たり前にそこにいた人が、今はもういない。でもその存在は、明確な図像をともなって「ここ」にいる。不思議だ。実に不思議だ。

底知れぬ悲しみを覚えると同時に、腹立たしさもまた湧いてくる。なぜ僕らを置いて先に逝った?急性心不全だから抗い得ない事態だったにしても、なぜ神は彼を選んだのか。なぜ彼に死を与えたのか。理不尽極まりないそのジャッジを下した神を、呪いたくなる。

どれだけ書いたところでこの心が落ち着きを取り戻すはずがない。それはわかっている。そうであってもつい書いてしまうのは、書き手としての性分だろう。

今はとにかく彼の冥福を祈ることしかできない。この心は、然るべき時間をかけて整理をしていかなければならない。今は時間が過ぎ去るのが遅く、1日がとても長く感じられる。でもどんなことも忘れゆくのが人間で、いつのまにかいつもの日常を過ごせるようになるのだろう。そうなる日が待ち遠しいのかどうか、それすらもよくわからないが、今は彼についてとことん考え続けたいと思う。とことん思い続けたいと思う。